私の言う九州における男尊女卑の元は幕末から明治維新あたりまで遡ります。薩長土肥の藩(特に薩摩藩が主導で)は倒幕をし明治維新を引き起こしたのちに、第一次世界大戦では薩摩藩長州藩が大きな権力を持っていました。
文字にするとイメージが湧かないのですがこの倒幕から第一次世界大戦に至るまでの戦争で多くの人が人を殺し多くの人が血を流して死にました。
私はこの一連の出来事に人文学・社会学のセオリーを加えて男尊女卑を考察しています。
人文学・社会学・フェミニズムのセオリーでは男性は女性を弱い者(劣っている者/支配されるべき者)と定義することで、男性自身は強い者(優れている者/支配する者)としてのアイデンティティを確立します。男性は女性を劣っている者と見なさないと自身の男性性・アイデンティティが不安定になるのです。
(こちらのセオリーに関する参考がサイードのオリエンタリズムとクーリーの鏡の自我論しか思いつかなくて申し訳ないのですがその辺の学者の理論を読んでくださるとよりわかりやすいかと思います)
つまり男性の暴力は自身が「強い男である・自分は男性的である」と証明・確認するために他者に振るいます。1番わかりやすい例が男性犯罪者だと思います。これらの男性は性欲からではなく支配欲から女性を強姦します。女性を支配することによって自分は強いんだ、男らしいんだ、と確認して悦に浸るのです。
(男性も性犯罪の被害者となりますが男性性=強いという価値観の世界では、性犯罪の被害者は男性であっても社会学的な意味で「女」と性犯罪者からは見なされます。なぜならこの男性性=強いという価値観の世界では女性のアイデンティティは弱いもの・支配されるべきものとなっているからです。)
歴史からみても戦争の大部分は男性によって引き起こされ、男性同士で戦っています。なぜ男が戦争するかというと、男性性の確立のためだからです。戦って強さを誇示することで自分は男らしいんだと安心します。戦争の次に戦争をするのは負けることが弱い(女らしい)のが悔しくてまたやり返すんです。
これらのセオリーを以て薩長土肥の引き起こした倒幕戦争・参加した戦争を考察すると、薩長土肥の戦争も他の戦争と同じように己の男性としてのアイデンティティを確立したかったのだと考察が出来ます。
わたしはその男性性の確立への欲求の強さは女性への強い差別の裏返しとなっていると思っています。男は強くなければならないという考えが、女は弱くなければならないという考えを成り立たせているんです。男は「より」強くなければと思えば、女は「より」弱くなければならないという考えを引き起こします。
ざっくりいうとより暴力的な男はより女性差別的なので、より暴力的な薩長土肥はより女性差別的ということです。
ではなぜ薩長土肥、とくに薩摩藩が戦争を主導して倒幕したかというと、男性としてのアイデンティティが揺るがされていたのではないでしょうか。薩摩藩は倒幕前に薩英戦争でイギリスに負けています。その負けた悔しさのようなものが男性としてのアイデンティティの崩壊に繋がり、そのアイデンティティを取り戻すためにそのベクトルが国内へと向かい倒幕に繋がったのではないでしょうか。
倒幕と同時にその男性としてのアイデンティティ崩壊が裏返しとなり、女性差別に向かったのではないかと思います。女性を劣ったものとして扱うことで自分の強さを確認する、こう文化が以上の歴史で形成されていたはずです。こういった歴史が九州には背後にあり、その結果九州には男尊女卑的な考えが根強く残っていると言えるのではないでしょうか。
※九州は外国との貿易が盛んだったこと・今まで鎖国していたのに急に外国人がやってきて日本九州男児としてのアイデンティティが揺るがされたことも踏まえて考察したいのですがまた後日。
※歴史研究家ではないので以上の歴史の考察に不可解な点があれば指摘してくださると嬉しいです。
※九州は外国との貿易が盛んだったこと・今まで鎖国していたのに急に外国人がやってきて日本九州男児としてのアイデンティティが揺るがされたことも踏まえて考察したいのですがまた後日。
※歴史研究家ではないので以上の歴史の考察に不可解な点があれば指摘してくださると嬉しいです。
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